渡辺直美の台湾の姉が可愛い!画像も!ハーフ説や両親との壮絶な生い立ちとは?
渡辺直美といえば、日本の芸人でありながらも、固定観念から外れた独自の芸風で世界的にも有名なタレント。
そんな彼女は、英紙で自ら語った「カネと芸と孤独な生い立ち」が話題になっているといいます。
なんでも、イメージとは逆行した両親との複雑な関係が判明したというのです。
そこで今回は、渡辺直美の家族(父親・母親・姉)について大調査!
両親の離婚や貧乏生活の過去、そして母親や姉などの顔写真が明らかに・・・
目次
渡辺直美の両親やハーフ説!苦労だらけの壮絶な生い立ち
渡辺直美の両親は、父親は日本人、母親は台湾人。
ということで、渡辺直美がハーフであることは事実のようです。
▼コチラが渡辺直美の母親の画像
勝手に体格のいい人なのかと想像していたのですが、イメージとは異なった細っそりした母親でした。
幼少期の渡辺直美も少しふくよかな体型ではあるものの、今ほど太っている感じはしませんよね。
ちなみに、多くのサイトで取り上げられている、コチラの母親っぽい人とのツーショット画像は、
実の母親の画像ではありませんでした。
渡辺直美の隣でとても仲良さそうに写っているこの女性は、渡辺直美の母親の弟の嫁!
そのため、2人は血が繋がっていないものの、よく似ていると言われるのだとか(笑)
このように、母親関連の情報が出てくるものの、父親の存在は明らかになっていませんでした。
…というのも、渡辺直美は生まれて間もなくして、父親の故郷である日本の茨城県に移住するも両親が離婚。
そのため、彼女は母親に女手一つで育てられたといいます。
渡辺直美は、幼少期に父親と別れたこともあり、あまり父親の記憶がないのかもしれません。
それにしても離婚後、母親は異国の地であるは日本に残られ、渡辺直美を育てていたというのだから大変だったことに違いないでしょう。。
ちなみに、両親の離婚の理由は明らかにされていませんが、文化の違いなどがあったのかもしれません。夫婦にはいろいろありますからね、、
日本語もよく分からない母親と茨城県で生活し始めた当初は、日本と台湾を行き来する生活が続いたそうです。
その当時、一時的に住んでいたのは、母親の故郷である台湾の台北にある板橋(バンチャオ)という街でした。
▼コチラがバンチャオの街並みの画像
ただ小学生時代は、既に茨城県の石岡市立東小学校へ通っていたようなので、本当に物心がつく前までの話のようです。
当然、母子家庭だということもあり、小さい頃は食べ物に困る程の貧乏生活だったといいます。
その結果、一時期の母親はパチンコで生計を立てていたそう。
パチンコで勝ったときは、レストランに。
負けた時は、マクドナルドや外食のチラシを見て、それをおかずにご飯を食べていたというかなり苦しい生活だったと本人は語っています。
そんな渡辺直美が芸人を夢みるようになったのは、幼少期の頃、台湾で放送されていた『志村けんのだいじょうぶだぁ』がきっかけ。
その放送を観た渡辺直美は、志村けんのファンになり、小学校の時には既に芸能界へ憧れていたといいます。
母親が芸能界入りに猛反対!
渡辺直美はなんと!中卒で高校には入学していません。
茨城県の石岡市立石岡中学校に入学し、高校受験をするも失敗してしまったのだとか、、
そこで、高校進学せずにファミレスの『夢庵』にてアルバイト生活が始まります。
現在でも渡辺直美は、大好きな外食店を『夢庵』と語っており、特に好きなメニューは『サラダうどん』と『ネギトロ丼』なのだそう。
そして3年間のアルバイト生活で、朝昼晩のまかないを食べて20キロも体重が増加!
そんな渡辺直美は、ただまかない飯を楽しむためにアルバイトをしていたワケではありませんでした。
というのも、アルバイトをしながら必死に貯金をしていたといいます。
彼女が貯金をしていた理由は、芸能人養成スクールに通うためだったようです。
高校受験を失敗後、芸能界への憧れが強かった渡辺直美は、母親に、
「40万円頂戴!!」
と芸能人養成スクールに通うための費用をお願いしたものの、母親から
「余裕がない」
と断られます。
そのため、自力で稼ぐことを決めた彼女は、アルバイターとして奮闘した結果!3年間で40万円をため、18歳の時にNSC(吉本興業の養成所)に入ります。
その当時の母親には、
「芸人になるな!」
と芸能界入りを猛反対されていて、半ば無理やりで家出同然だったといいます。
なんでも、母親がNSCに電話をしてきたこともあったそうで、相当心配していたのでしょう。。
ちなみに、現在でもその延長で家出中みたいなものと本人は語っていました(汗)
…しかし!NSCに入ってもなお、お金のない生活はまだまだ続きます・・・
NSC在籍当時は、超貧乏であったことから、
・家賃を支払うことも出来ず、NSCの同期の家に一か月おきに泊まり歩いた
・コンビニの100円くらいのコッペパンを三等分して1日の食費を抑える
・3玉入りのうどんを茹でて、しょうゆとごま油をかけて食べる
と、まさに某テレビ番組のボンビーガール!っぷりのエピソードも。。
それ以外にも、かばんを買わずごみ袋を使っていた過去もあり、その影響からか売れた後も、
「財布は持っていない」
などと、激白していました。
18歳で日本語がカタコトだった!
そして、芸人を志す中で彼女が一番大変だったのが言葉の壁だといいます。
渡辺直美は、日本語の分からない母親に育てられたこともあり、18歳になるまでカタコトな日本語を話していたというのです!
当然、今はペラペラと日本語を喋れていますが、18歳で芸能界デビューした当時は、うまく日本語を喋れないことから相当苦労したようです。。
やっとの思いでテレビに出演することはあっても、そのコンプレックスから2、3年はほとんど喋れなかったのだそう・・・
「芸人なのに肝心のしゃべりができない」
このように、長く抱いていたコンプレックスを払拭できたきっかけというのが、芸人仲間のアドバイスだったといいます。
それが、海外タレントのモノマネでした。
今や誰もが一度は見たことがあるであろう、ビヨンセのモノマネといった独自のジャンルを作り上げ、渡辺直美は一躍有名な存在に!
あの芸風は、このような経緯から生まれたわけです!
2007年9月にコンビ『フレッシュライム』を方向性の違いで解散後、ピン芸人としてデビューし、和風ビヨンセで注目を集める。
出典:barks.jp↓ ↓ ↓
2008年3月31日から『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の14代目いいとも青年隊として、『いいとも少女隊』を結成。
↓ ↓ ↓
『笑っていいとも!』の少女隊で毎週テレビ出演!
このような下積み時代も経験し、現在は年収4000万円と言われている渡辺直美。
見ての通り、今は好きなものを好きなだけ食べいるようですが、これは貧乏生活からの反動なのかもしれません。
食べられず痩せてしまうより、ストレスなく食べていた方が健康的ということで!
そんな渡辺直美の売れない芸人時代には、こんなブラックな仕事経歴もあるようですが。。
▼風営時代の過激な画像流出!まさかの履歴書も!?
ちなみに母親は、芸能界で活躍する娘の姿を見て、安心することができ、渡辺直美の芸能界入りを認めてくれたそうです。
当然、芸能界に反対していたのも娘を想っての親心だったのでしょう。
現在の渡辺直美の活躍は、最大の親孝行であることに違いありません!
そして、渡辺直美が家族と一緒にいる写真をブログで公開されたのですが、、
渡辺直美の隣に写っているメガネの女性は、母親ではなくて母親の姉。
その横の女性は、先ほども画像でお伝えした母親の弟の嫁。
…家族水入らずの写真と思いきや、ここでも実の母親は写っていませんでした。。
このようなこともあり、一見仲良くなったと思われる母娘の関係ですが、
「今も母と絶縁状態なのでは?」
と言われているようです。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があるでしょうし、母親を公開しないのにも彼女なりの理由があるのでしょうね。
そして、渡辺直美といえば姉の存在も話題になっているといいます。
渡辺直美の姉がかわいい!ツーショット画像も
渡辺直美には、台湾に住む姉の存在が明らかになっているようです。
それでは早速、ハーフの姉とのツーショット画像を大公開!
めっちゃかわいいじゃないですか!!!!
正直、かわいいとの噂は盛っているのかと思っていたのですが…これはマジでした(笑)
渡辺直美も痩せたらめっちゃかわいいのかもしれませんね。
ちなみに、顔のパーツ(目鼻口)が似てるように感じます。
2011年3月16日のブログでも、姉とのツーショット画像を掲載し、以下のようなコメントをされていました。
「台湾のお姉ちゃん。家族や親戚で太ってるのは私だけ —-くそっ」
…と思いきや、2012年にはこのような発言も!
明らかに「一人っ子!」と綴られていることから、“台湾人の姉”という人物は、実の姉ではないことが判明!
おそらく、渡辺直美の台湾の姉というのは“親戚のお姉ちゃん”という意味なのかもしれませんね。本人も「親戚」というワードを使っていますし。。
確かに、幼少期に両親が離婚した渡辺直美ですから、よほど年子でない限り姉妹はいない可能性が高いでしょう。
しかも、父親とは連絡を取っているようにも思えませんから、腹違いの姉妹というのも考えにくいですし、、
他サイトの多くでも、この女性を“渡辺直美の実の姉”と紹介されているようなのですが、母親同様に誤解が生じているようです(汗)
ちなみに、上記のツイッターにもある通り、渡辺直美は結婚願望について語っていたこもあるのだそう。
2017年5月12日のサンスポの取材の際、渡辺直美は、
「今すぐという願望はない。いろんな先輩を見てきて焦ってもよくないなと思ったので、60歳までにできたらいいな」
「(子供について)5人欲しい。私が一人っ子だったので。兄弟がいっぱいいた方が人間関係とか学べる」
と語っていました。
もし彼女が母親になったら、パワフルでいいお母さんになるであろうと想像できますよね!
しかし、そう感じることができるのも、これまでの苦労の生い立ちが今の彼女を作り上げたのかもしれません。
過去にはロケで故郷である台湾に訪れた際は、涙を流す場面も・・・
いろいろと思い返すことがあったのでしょうね。。今の生活が幸せそうで何よりです!
60歳までにとは言いながらも、もし新しい家族ができたなんてことがあったら、速報でお伝えしていきます!
まとめ
今回は、渡辺直美の両親(父親・母親)や姉、ハーフ説について調べた結果、以下のようなことがわかりました。
・父親は日本人、母親は台湾人のハーフ。
・渡辺直美は幼少期に両親が離婚。母親に引き取られ女手一つで育てられた。
・母子家庭だったこともあり、子供の頃は貧乏生活だった。
・高校受験に失敗し、中学卒業後はアルバイトをしていた。
・アルバイトの貯金でNECに入るものの、その後も貧乏生活は続く。
・母親は芸能界に入ることを猛反対していた。
・芸能界で成功後は、母親も安心してくれたようだが、その後もツーショット画像等はあげられることはなかった。
・姉と言われる人物は、実の姉ではなく、親戚の姉の可能性が高い。
渡辺直美の底なしの明るさは、壮絶な過去から作られたハングリー精神により生まれたものだと感じることのできた今回の調査。
今やインスタグラムのフォロワー日本一の渡辺直美。
世界的にも有名な彼女の活躍は、今後も止まることを知らないでしょう。
そして、渡辺直美の凄いところは、コンプレックスを最大の武器にしてしまうところ!
それは、日本の芸能人で彼女以上にコンプレックスをさらけ出している人はいないと断言できてしまいそうなほど!
常にありのままな渡辺直美は、見てる人に勇気を与える存在なのでしょうね。
…このように、彼女の人気の理由がわかったところで、この記事を締めたいと思います!
また気になる情報があり次第記事にてお伝えしていきます。それではまた☆
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