長嶋一茂の子供は双子の娘!学校は?部活は陸上?パニック障害の過去を激白!
現在、バラエティ番組などでタレントとして活躍中の長嶋一茂。
そんな彼には、普段テレビでは語られない過去があるといいます。
それは、現役プロ時代から芸能界に転身した当初の14年間、パニック障害を患っていたことです。
症状を発症した結果、プロ野球選手を引退するまで追い込まれた長嶋一茂ですが、ある有名芸能人からの誘いで、芸能界へ転身したといいます。
そして、芸能界入りして間も無くして、子供を授かったのですが、なんと双子の娘!
その子供たちが、長嶋一茂のある部分を受け継いでいるというのです!
話題にもなった父娘の“似ている”と言われる部分とは一体?
目次
プロ野球選手としてのデビュー秘話
冒頭の通り、元プロ野球選手で現在はタレントとして活躍する長嶋一茂。
誰もが知る、日本球界のスーパースター長嶋茂雄の長男です。
長嶋一茂が野球を始めたのは、小学校の頃だといいます。
ですが、中学校では野球をやっていなかったのだとか。
というのも、野球がそこまで上手くなく、途中で辞めてしまったようです。
しかも幼少期の頃から、マスコミや父親に取り入ろうとする大人たちに付きまとわれることが多く、野球を一時中断。
長嶋一茂は、そんな大人達について、
「俺のことは全く好きでもなんでもない。プレゼントを渡したい気も全くない。親父のため」
「お年玉は(1人)1万円です。
それが40人から50人来ますからね。
ただ、さすがにそれはお袋が“預かっておこう”と。
僕にお年玉……というよりは親父へのゴマすりなんですよ。
小学校の時に大人のドス黒さが分かっていた」
と、当時は子供ながらも、大人の本心を悟っていたといいます。
「一番堪えたのは友達が離れていったこと。
楽しく野球をやりにいって自分だけ(マスコミに)囲まれちゃうと、周りの友達は引いてく」
一先ず、“一時中断”ということもあり、野球は嫌いになったわけではなく、いずれはまた始めようと考えていたようです。
そして、高校進学の際に、
「父親と同じ(出身校の)立教で野球をしたい」
という思いから、現在の立教新座高校(立教大学の附属校)に進学。
その結果、高校3年生には、4番でキャプテンを務めるまでに成長しました。
さすがスーパースター長嶋茂雄の息子!
中学時代のブランクを感じさせない急成長、元々彼に野球の素質があったのでしょう。
高校卒業後は、そのまま六大学リーグに所属する強豪校であり、父親の母校である立教大学に進学。
その後、1年からレギュラーを獲得し、4年時にはキャプテンを務め、2期連続でベストナインに選出されました。
卒業後は、ヤクルトスワローズと大洋ホエールズ(現DeNA)の二球団から一位指名で競合!
余談ではありますが、当時、公に発表されていたのは上記の二球団だったのですが、実は広島カープからも指名の打診があったといいます。
ここで驚きなのが、父親の長嶋茂雄から広島カープに入団を勧められたのだとか。
「オヤジは広島をすすめていたんですよ。
育成がしっかりしてるからって。
(入団するなら)広島がいいって」
しかし、当時は、広島を舞台にしたヤクザ映画『仁義なき戦い』が大人気!
「菅原文太さんの『仁義なき戦い』をやってて、広島って街中がこうだ(映画の世界のように抗争がある)と思って…。それで断ったんですよ」
簡潔に言うと、映画『仁義なき戦い』に“ビビって”、広島カープからの指名の話を断ったのだそう。
まるで幼い少年のような考えで、これ程重要な選択をするとはある意味衝撃です。
その後、1988年に、ヤクルトスワローズに入団し、プロ野球選手としてのデビューを飾りました。
そして、1993年に、父親の長嶋茂雄が監督をつとめる巨人に移籍し、同じ巨人軍のユニホームを着て戦うも、1996年に現役を引退。
このように振り返ると、プロ野球生活はわずか8年間。
その間、特に目立った活躍を見ることはありませんでしたが、引退後はタレントやスポーツキャスターとして活躍し、現在に至ります。
パニック障害の過去とは?
父親を慕い、後を追うようにして立教大学を経て、プロ野球選手となった長嶋一茂。
プロとしてデビュー当初は、ヤクルトスワローズに所属していたものの、ここでも父親の後を追い、ジャイアンツに入団します。
しかし、そこに無理があったようで、壁にぶつかり、猛練習をするも1軍に定着できませんでした。
当然、“スーパースターの長嶋茂雄の息子”というプレッシャーは計り知れないものだったでしょう。
2軍生活の中で、当時30歳の長嶋一茂は、突然パニック発作を起こすことになります。
いうまでもないでしょうが、このパニック障害の根本的な原因は、父親・長嶋茂雄の二世として野球をする自身への劣等感から生まれたものでした。
生後4日目から、スーパースター長嶋茂雄の息子である立場から、マスコミに追われ続けた長嶋一茂。
大きすぎる期待と重圧、偉大すぎる父親と比較・・・
これらを長嶋一茂本人は、“避けられないもの”だと割り切っていたものの、頭のどこかで、
「父親のようにならなければ、世間もマスコミにも認めてもらえない」
と感じていたといいます。
また、高校1年生の時に、ピッチャーを目指し練習に励んでいた長嶋一茂は、剥離(はくり)骨折を負ってしまった事も要因の一つのようです。
結果的に、その古傷が大きな痛手となり、現役時代にはバッターに転向。
思うように動かない肘の怪我に苦しみ、常に痛みと戦いながらプレーをしていたと語っています。
重すぎる十字架は、肉体・精神共にむしばみ、限界を迎えてしまったのでしょう。
以下の内容は、長嶋一茂の著書『乗るのが怖い 私のパニック障害克服法』によるものです。
長嶋一茂は1996年、ジャイアンツ1軍選手でした。
しかし、不調のため5月に2軍行きを命じられ、うつうつと生活していた時のこと。
知人のマンションの屋上で花火大会を見物していた時、突然地面が大きく揺れるような強いめまいを感じたといいます。
これが最初のパニック発作で、2度目の時は過呼吸発作を起こし、救命救急センターに担ぎ込まれました。
そこでパニック障害と診断され、安定剤の投与を受け、呼吸法なども習います。
そしてユニホームとの別れは、突然訪れました。
ーーー1996年、30歳の夏。
長嶋一茂は、川崎にある巨人の練習場へ向かうため、車に乗り込み、エンジンをかけようとした瞬間、呼吸が苦しくなり、とても練習に行けるような状態ではなかったといいます。
「すみません、実は過呼吸になり、車を運転できません」
その日、2軍のマネジャーに連絡を入れて、急きょ練習は休みに。
それ以降も、パニック障害は改善する事が無く、二度とユニホームを着る時は訪れませんでした。
同年、ジャイアンツより戦力外通告を受け、そのまま退団し、プロ野球選手を引退。
父親から受けた“戦力外通告”
長嶋一茂は、巨人在籍時代に関するインタビューで、
「4年間で一度も(父親と)喋ったことない」
と語っています。
また、父親である長嶋茂雄から戦力外通告を受けた時のエピソードも明かしました。
「親父だけど、監督と選手の間だから(会話は)一度もない。
辞める年に体も壊して発作みたいなものが起きてパニック症候群になって。
ぐるぐる天井が回っちゃって一歩も家から出れない」
こう切り出した長嶋一茂は、
「親父から引退勧告されるのは、10月か11月。
4年間一回も喋ったことないのに電話かかってきて、『お前家来い』って呼ばれたから、そういうことなんだなってすぐ分かった。
『お前、来年の戦力に入ってないから』って言われて、『はい、わかりました』って言って帰ってきた」
と告白。
その上で、胸中を打ち明ける場面も。
「親父にそんなこと言わせちゃった自分がなんてダメな男なんだろうって思った。言わせたくなかった」
長嶋茂雄も父親として、監督として、苦渋の決断だったことでしょう。
しかし、自分の息子だからと言って特別扱いするわけにはいかないのは当然のこと。
何より、息子が野球するコンディションではないことをわかった上で出した通告だったのかもしれません。
その後は、明石家さんまの誘いもあり、長嶋一茂は、芸能活動とスポーツリポーターをするようになり生計を立てていきます。
明石家さんまから芸能界へ誘われたきっかけというのが、偶然ゴルフをする機会だったといいます。
まさかの引退がつきつけられるとは思ってもみなかった長嶋一茂は、明石家さんまに経緯を話すと、
「辞めたら俺がやってる番組全部来いや」
と言われたものの、当初は真剣に受けとめることが出来ずにいたようです。
そして、現役を退いた後、その言葉通り明石家さんまのすべてのレギュラー番組でオファーを受け、出演!
現在、長嶋一茂は明石家さんまを大恩人と語っています。
ちなみに、過去の自宅の落書き騒動に関しても、
「落書きした人さんまさんってことで…」
と話していましたが、これも信頼関係があるからこそ言える冗談だったのかもしれませんね。
▼長嶋一茂邸の落書き事件の真相とは?
これらの過去について長嶋一茂自身の著書では、
「もしパニック障害が無ければ、ずっと一流半の野球人生活で苦しみ続けたと思います」
と語っています。
パニック発作は、“これ以上の野球生活は無理”という事を自身に示してくれたものだと、、
そして、その力を新たな無理のない方向へ発揮させてくれると信じ、芸能界へ転身した長嶋一茂は、スポーツコメンテーターや俳優を務めるものの、当初はパニック障害が治まらなかったのだそう。
ーーーパニック障害を患ってから13年後の2008年。
長嶋一茂自身が企画した映画『ポストマン』の撮影の時、最悪な事態に陥ります。
その撮影の当時、ロケ地が千葉県であったっため毎回の自宅から現場までの行き帰りにアクアラインを使っていたのだそう。
すると、毎回の運転中に“そこで死ぬような恐怖体験”をし続け、うつ状態が悪化!
その時から強い希死念慮(死への願望)も生じるようになったといいます。
しかも更に悪いことに、服用していた抗うつ薬が合わず、この薬の副作用が希死念慮も強く加昧されることに、、
「とにかくうつが酷い。ベッドから起きられない、仕事に行けない、約束が守れない、わけもなく涙が出る――。」
自宅へ帰宅後、明け方の3時半頃から涙が止まらず、2人の子供たちがおき出す6時半頃まで続いたのだそう。
しかし、
「子供達のために決して死なない」
と思い踏みとどまり続けたといいます。
その後、14年間の闘病生活の後、生活リズムの改善などからパニック障害克服に成功!
そして、長嶋一茂はパニック障害から立ち直った現在、長い年月もの間苦しめられたものの、「パニック障害になって良かった」と語っています。
「肉体的に、精神的に、本当にいろいろなことを学ぶことができたように思う。
小さい頃からがむしゃらに野球バカを地で行く感じでやってきて、もしも30歳でパニック障害になっていなかったら、私は、かつて母親が言った通り、世の中の機微がまったくわからない『傲慢な人間』のまま無惨な人生を送っていたか、あるいは、命にかかわる大病を患っていたかもしれない。
また、自分が、パニック障害を患うことによって、同じような精神障害に苦しむ人たちの気持ちを慮ることができるようになったのは、私にとって何より多きことだと思う。」
長嶋一茂はパニック障害になった事によって、自身の成長に繋がったと語っています。
このように、過去にはパニック障害を患っていた長嶋一茂ですが、病気を克服した現在は皆さんもご存知の通り、芸能界でタレントやコメンテーターなどと大活躍!
ユーモア溢れるストレートな発言からお茶の間の人気者として君臨した彼ですが、引退後の生活で、もう一つの大きい変化と言えば、家庭を持ち、双子の娘を授かったことでしょう。
そんな双子の娘は、長嶋一茂似の子供だというのです!
一体どの辺りが似ているのかというと、、
才能は子供に受け継がれていた?
大学時代の長嶋一茂の成績を振り返ると、ドラフト一位になるほど良いものではなかったといいます。
それでもプロになれた背景には、
・日本球界のスーパースター長嶋茂雄の息子という商品価値
・六大学同期にスター選手がいなかった
などと、実力外の要素もあったようです。
しかし、身体能力はプロでもトップクラスと言われていました。
3度の三冠王を獲得した落合博満は、長嶋一茂について、
「真面目に練習していれば父・長嶋茂雄氏を超えていた」
とまで発言した程!
長嶋一茂が、かなりのポテンシャルは持っていたことに間違いはないでしょう。
そして、その運動能力は子供にも受け継がれているというのです!
なんでも、双子の娘は陸上競技の都大会で、優勝経験があるほど優れた身体能力を見せているようです。
※双子のどちらの娘かは明かされていませんでしたm(_ _)m
最近では、テレビ『炎の体育会TV』(TBS)で青山学院大学陸上部の女子が話題になっていますが、長嶋一茂の娘も大学まで陸上を続けていれば、この陸上部に入部することになるかもしれませんね。
このように、祖父・長嶋茂雄と父親・長嶋一茂のスポーツの才能を受け継いでいるようです!
出典:野球コラム
過去の記事でもお伝えしましたが、長嶋一茂は1999年9月に一般人女性(元銀座のホステス「仁子」)と結婚。
2004年6月16日に双子の娘(二卵性双生児)が誕生しています。
そこで、ここからは双子の娘についてお伝えしていこうと思います。
▼長嶋一茂の嫁・仁子についてはコチラ!
双子の子供の学校は?
長嶋一茂の双子の娘は、2018年4月からは中学2年生に進級し、現在13歳。
そこで気になるのは、長嶋一茂の双子の娘が通っている中学校はどこかということですよね。
ちなみに長嶋一茂自身は、
・公立の大田区立田園調布中学校
・私立の白根開善学校中等部(群馬県吾妻郡六合村【現在の中之条町】)
・立教新座高校(埼玉県新座市)
・立教大学
そして、立教大学卒業後はプロ野球選手となりました。
調べてみると、長嶋一茂の双子の娘が通っている中学校も名門・青山学院中等部であることが判明!
長嶋一茂の双子の娘は、
・青山学院幼稚園
・青山学院初等部
・青山学院中等部
とストレートに進学していますので、今後は青山学院高等部を経て青山学院大学へ進学するのではないでしょうか。
皆さんもご存知の通り、青山学院大学は全国的に名前の知られた有名大学。
同大学は幼稚園から高校まで附属校を有しており、ひとたびどこかで附属校に入園入学できれば、そのまま大学まで内部推薦で進学可能!
そのため、附属校はどこも人気なのですが、
・有名大学の附属校の選択肢が少ない
・青山学院幼稚園は、定員40名
とのことで、双子の娘が通っていた青山学院幼稚園は、幼稚園受験業界でも上位の難易度といわれています。
しかも、狭き門である青山学院の入学偏差値は71で、とにかく高い!
ですから、双子の子供たちの学力は優秀であることに間違いはないでしょう。
ちなみに、皆さんの中でも、
「コネやお金の力で入学できたのでは?」
という疑問を持つ人はいるかと思います。
芸能人の子供の学校に関する裏事情
実際に、子供を青山学院に通わせている(通わせていた)芸能人のリストが以下のものになります。
・稲葉浩志
・江角マキコ
・篠原涼子
・井川遥
・香川照之
・木村多江
・竹内結子
・黒木瞳
結論からいうと、私立ではコネや寄付など、受験する本人以外のところで何かが働くことも違法ではありません。
ですが、それなりのコネクションを築いたり、寄付できるくらいの稼ぎがあるのは芸能界でも一握りのようです。
その一握りに入るには、稀な才能や努力があってこそ。
そもそも、頭が悪かったら、入園・入学できた後に周りについていくことが大変でしょうし、元々勉強の素質が無ければその先が難しいはず。
ですから、長嶋一茂の子供たちに関しては、本人たちの実力があってこそ、現在青山学院中等部に進学されているのでしょう。
そして、芸能人が有名な私立学校に子供を通わせる主な目的は、プライバシーを守ることだといいます。
もちろん見栄で入学させたいという思いもあるでしょうが(汗)
近所の公立に入れれば、だいたいの住所が分かってしまいますし、私立の学校ならプライバシーの保護に独自のノウハウを持っていることから、安心して子供を学校に通わせることができるのだとか。
▼芸能人ママが必死!子供のお受験で戦争勃発!?
それにしても、双子の娘たちは中学生という若さで一躍脚光を浴びているというのですから、長嶋一茂も将来が楽しみなことでしょう。
2018年5月11日に放送された『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に出演時には、双子の娘たちに関する衝撃的な暴露話がありました。
なんでも嫁・仁子の暴露によると、
「夫は娘たちを溺愛していて、合宿で1週間〜10日家を離れると泣きます」
「私は手が休まって、友人とランチなどを楽しみに行くのですが、そんな時『お前はよく平気だな!涙で霞んで(娘からの)メールの文字も読めない』とめんどくさいメールが届きます」
と、意外な一面もあるのだとか。
まぁ可愛くて仕方ないのはわかりますが、強要はよくないですね(汗)
現在は、一般人であることから双子の娘の名前や顔画像は公表されていないものの、これから先その姿をスポーツ界を通して見せてくれるかもしれませんね!
まとめ
今回は、長嶋一茂が過去に患ったパニック障害や双子の子供の娘について調べた結果、以下のようなことがわかりました。
・長嶋一茂は、父親の長嶋茂雄の二世としてプロ野球選手となったものの、その強烈なプレッシャーからパニック障害になり、退団・引退した。
・14年間の闘病生活の末に、パニック障害を克服し、現在は芸能界でタレントやコメンテーターなどと活躍中。
・子供は双子の娘がいて、青山学院の附属校に通っていると言われている。
・双子の娘は、祖父や父親から受け継がれた優れた身体能力で、陸上競技の都大会で優勝経験がある。
このように、長嶋一茂の過去は、現在の活躍や性格からは想像できない程苦しい経験していたようです。
しかし、闘病生活があったからこそ、現在は自分に自身を持ち堂々とバラエティ番組などのメディアで発言できるのかもしれませんね。
…といいたいところですが、プロ野球選手時代も割と堂々と発言されていたとのこと(汗)
長嶋一茂と同じ番組を務める羽鳥慎一アナも言ってましたが、
「自由奔放に育ってきた少年が大人になった人」
と例えていましたが、まさに世間のイメージ通りの人ようです。
吠えて威嚇するのは、実は繊細なハートの持ち主だということなのでしょう。
その性格は、過去も現在も変わらないと思われる長嶋一茂ですが、その掴み所のない彼の性格は一つの魅力なのかもしれません。
何はともあれ、健康第一に!今後も芸能界の第一線で活躍して欲しいですね!
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